浅尾拓也の引退理由や今後の仕事は?経歴や全盛期の成績&年俸も!

リンクユニット




今回は、現役引退を表明した中日ドラゴンズの浅尾拓也選手に注目していきます。

まだまだやれるのでは?

とファンならずとも思ってしまう若さですが、

引退を決意された理由や今後の仕事について、

浅尾選手の経歴についてや、

全盛期の成績や年俸なども振り返っていきましょう。

スポンサーリンク

浅尾拓也選手の経歴や全盛期の成績&年俸は?

出典:https://www.hb-nippon.com

まずは、浅尾選手のプロフィールからみていきましょう。

浅尾 拓也(あさお たくや)

出身地:愛知県知多市

生年月日:1984年10月22日

年齢:33歳(執筆時点)

身長/体重:182cm/78kg

投打:右投右打

ポジション:投手

(出典:Wikipedia)

浅尾選手といえば、爽やかなルックスと礼儀正しい性格が評判で、中日選手の中でもアイドル的存在でした。

年齢的にもまだ若いですし、早すぎる引退を惜しむ声も多いですね。

浅尾選手は中学時代から捕手として活躍していましたが、

愛知県立常滑北高等学校時代に進学後2年生秋から投手に転向。

高校卒業後は日本福祉大学に進学し、愛知大学野球リーグで活躍されました。

2006年、ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名で入団。

最速157kgのストレートと140kg超のフォークを武器に、

落合博満監督が築いた投手王国の最強セットアッパーとして、

2010、11年とチームのセ・リーグ連覇にも貢献しました。

しかし、2012年以降は度々右肩痛を発症するなど怪我にも悩まされ、

得意としていた剛速球は戻ることなく、登板も激減。

2016年は、プロ入り初の一軍登板無しに終わります。

2017年に一軍復帰し、10月1日のヤクルト戦でホールドを挙げ、

プロ野球史上3人目、セ・リーグ史上2人目となる通算200ホールドを達成。

その後も復活を目指しましたが、かつての姿を取り戻すことはできませんでした。

全盛期には中継ぎ投手の要として、数々の輝かしい記録を残されています。

・月間11ホールド (2009年7月、セ・リーグ記録)

・25試合連続ホールドポイント (2010年7月11日・対読売ジャイアンツ12回戦 – 2010年9月15日・対広島東洋カープ23回戦、プロ野球記録)

・年間47ホールド (2010年、世界記録)

・年間59ホールドポイント (2010年、世界記録)

・通算231ホールドポイント (日本プロ野球歴代2位 ※2015年シーズン終了時点)

最後に、浅尾選手の年俸推移をみてみましょう。

年度 年俸(万) 登板 勝利 敗戦 ホールド
2007 1,200 19 4 1 1
2008 1,700 44 3 1 12
2009 3,500 67 7 9 33
2010 7,500 72 12 3 47
2011 13,500 79 7 2 45
2012 27,500 29 1 0 15
2013 22,000 34 2 3 22
2014 16,500 22 1 1 8
2015 12,000 36 1 1 16
2016 9,800 0 0 0 0
2017 7,350 4 0 0 1
2018 5,600 9 0 0 0

こうやって数字で見ていくと、やはり2009~2011年に

肩を休める暇もなく酷使したことが、右肩発症につながったと考えてしまいますね。

ご自身は否定されていますが…

引退理由や今後の仕事や?

出典:http://onisoku17.com/archives/2179

浅尾選手の引退理由についてですが、

一説には、関係者に対しモチベーションが維持できなくなったことを打ち明けていたそうで、一軍で活躍することはもはや無理であると、ご自身で最後は決断されたものと思われます。

年齢的にはまだ若いだけに、自分自身では「まだやれる!」と思いながらも、怪我に悩まされる現実との乖離にずっと苦しんできたことでしょう。

本当に苦しく悔しい決断だったと思います。

来季はコーチに就任してチームに残り、若手投手の育成に携わっていくようです。

今回も最後までお読みくださって

本当にありがとうございました。

関連記事



スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク