このたび76歳の生涯を閉じられた理論物理学者
のホーキング博士について書いていきます。
「車椅子の天才宇宙物理学者」と言われた
ホーキング博士は、ガリレオ・ガリレイの
命日に誕生し、
アルベルト・アインシュタインの誕生日
と同じ日に死去したことについては、
不思議な縁を感じずにはいられません。
ホーキング博士の経歴や業績などについて、
離婚した元妻や子供など家族の現在や
病名や死因についてなど、気になる話題に
ついて書いていきたいと思います。
ホーキング博士のプロフィール

出典:https://www.gizmodo.jp
まずは、プロフィールからみていきます。
スティーヴン・ウィリアム・ホーキング
(Stephen Willoam Hawking)生年月日:1942年1月8日
没年月日:2018年3月14日(76歳没)
国籍:イギリス
研究分野:物理学、理論物理学、天体物理学、宇宙論
研究機関:ケンブリッジ大学
学歴:オックスフォード大学→ケンブリッジ大学
(出典:Wikipedia)
筆者がホーキング博士の名前を知ったのは、
こちらの本が出版された時です。
この本は、世界的ベストセラーとなり、
20年間で1,000万部以上の手にされて
いるものです。
子供の頃から、宇宙の始まりはどうなっていたんだろう?
ビッグバンはなぜ起きたんだろう?
その前の闇の世界って?
なんて子供ながらに考えてたら、
眠れなくなってしまったあの日のことが
ついこの間のことのように思い出されます。
現代宇宙論に多大なる影響を与えた
ホーキング博士の経歴についてみていき
ましょう。
1942年1月8日 オックスフォードで生まれる
1957年 オックスフォード大学附属の
ユニバーシティ・カレッジに進学。
1962年 オックスフォード大学卒業。
ケンブリッジ大学大学院、応用数学・理論物理学科に入学。
1963年 筋萎縮性側索硬化症と診断される。
1965年 ペンローズと共同で「特異点定理」発表。
1967年 論文「特異点と時空の幾何学」でアダムズ賞受賞
1974年 「ブラックホールの蒸発理論」発表。
→史上最年少でロンドン王立協会フェローに選出。
1977年 ケンブリッジ大学教授職に就任。
1983年 ジェームズ・ハートルと共同で「無協会仮説」発表。
1988年 『ホーキング、宇宙を語る』出版。
1991年 「時間順序保護仮説」を提唱。
宇宙論の賢威であるホーキング博士の
言葉にはとても説得力があり、時には
私たちに厳しく諭すように、強烈な
メッセージを発信してくださいました。
最近では、AIについて警鐘を鳴らしていた
コメントがとても印象的でしたね。
「完全な人工知能を開発できたら、それは人類の終焉を意味するかもしれない」
また、こんな警告で科学者たちが騒然とした
こともありました。
「エイリアンが地球に来た場合、コロンブスの米大陸上陸時のように、先住民族のことをよく知らないために起きた結果(大虐殺)になる」
宇宙に精通していたホーキング博士には
私たちには見えない地球の未来が見えて
いたのかもしれませんね。
離婚した元妻や子供について
ホーキング博士のプライベートについては
あまりしられていませんが、
実は2度離婚を経験されています。
そして、最初の妻との間に2人の息子
と1人の娘が誕生しているんですね。
長男:ロバートホーキングさん
1967年生まれ

出典:https://www.thefamouspeople.com
次男:ティモシー・ホーキングさん
1979年生まれ

出典:https://saisin-news.com/
長女:ルーシー・ホーキングさん

出典:https://news.mynavi.jp
1人目の妻は、ジェーン・ワイルドさん。
博士が筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断
された翌年の1965年にご結婚されました。

出典:https://loveactors.exblog.jp
既に余命2年と宣告され、徐々に身体が
不自由になっていく博士の介護と育児、
さらには当時学生だったジェーンさんの
精神的肉体的負担は想像を絶するもの
だったでしょう。
そんな時、ホーキング夫妻の子供にピアノ
を教えるために出入りするようになる男性
とジェーンさんは恋に落ちてしまうことに…
そんな複雑な三角関係のラブストーリーが
映画化され、話題を集めました。
1991年、49歳の時、博士はジェーンさんと離婚。
ジェーンさんは恋に落ちた男性と再婚されます。
その4年後の1995年、ホーキング博士は
看護師のエレイン・メイソンさんと再婚。
しかし、2011年には離婚し、晩年博士は
独身として余生を過ごしたわけですね。
まとめ
今回は難病に苦しみながら、最期まで
私たちに勇気と希望を与え続けてきた
ホーキング博士について書いてきました。
76歳、自宅で永眠されましたが、死因に
ついては現在のところ明らかにされていません。
「多くの人々の助けに感謝しなければならない。病気は仕事上の成功の妨げにはならなかったし、誰でも望みを失う必要はない」
博士の生き様は、どれだけ多くの人に
希望と勇気を与えてくれたか計り知れません。
ホーキング博士
ありがとうございました。